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東京地方裁判所 昭和41年(行ウ)99号 判決 1969年6月28日

原告 井笠鉄道株式会社

被告 中央労働委員会

主文

(一)、原告の請求を棄却する。

(二)、訴訟費用は、原告の負担とする。

申  立

原告の求めた裁判

(一)、中労委昭和四〇年(不再)第一五号(再審査申立人私鉄中国地方労働組合井笠鉄道支部(以下「組合」という。)・再審査被申立人井笠鉄道株式会社(以下「会社」という。))及び第一六号(再審査申立人会社・再審査被申立人組合)事件について、被告委員会が、昭和四一年七月二〇日付でした命令を取り消す。

(二)、訴訟費用は、被告の負担とする。

被告の求めた裁判

主文と同じ。

主  張

原告の主張する請求の原因

一、組合は、会社について不当労働行為に該当する行為があつたとして、岡山地方労働委員会(以下「地労委」という。)に対して救済の申立をし(岡労委昭和三九年(不)第六号事件)、地労委は、昭和四〇年三月一一日、組合の申立は、一部理由があるが一部は理由がないものと認めて、別紙(一)のような初審命令を発した。

二、組合及び会社は、共にその命令を不服として被告委員会に対して再審査の申立をした(中労委昭和四〇年(不再)第一五・一六号事件)ところ、被告委員会は、組合の申立の一部を理由があるとして容れた反面、会社側の申立を理由がないものと認定して全部棄却した。

三、被告委員会の命令の主文ないし理由は、別紙(二)の命令書写記載のとおりである。

四、しかしながら、右命令には、事実の認定ならびに法律上の判断を誤つた違法がある。

その理由は次のとおりである。

被告委員会の認定した事実中

1  当事者等の項は認める。

2  昭和三九年春闘と他社のバス乗入れ問題の項は、会社がその主張について強い態度を示したという点を除いて認める。

3  年間臨給闘争の経過および角屋の会合の項中

(1)は認める。

(2)も認める。

(3)は、赤田の欠勤の期間を除いて認める。

赤田の欠勤は、昭和三九年六月一五日から同年八月二二日までである。

(4)は、抗議のあつたことだけを認め、その余は争う。

(5)の第一段は、榊原課長が会合場所を指定したとの点を除いて認めるが、その余の段は争う。

(6)は否認する。

角屋は特に高級な旅館ではなく、会社の従業員は、忘年会その他の会合に良く利用していた。

(7)は争う。

榊原課長は、赤田が会合の費用を支払つたものと思つていたところ、まだ支払つていないということで立替支払をしたのであり、後日赤田から立替金の返還を受けている。

(8)は認める。

(9)も争わない。

(10)も認める。

(11)も争わない。

(12)も認める。

4  井笠バス労働組合(以下「バス労」という。)の結成についての項は認める。

5  藤本営業所長の言動等の項中

(1)は認める。

(2)は知らない。

藤本所長の矢掛転任がバス労強化のためであるという噂はなかつた。

(3)はメモを屑かごに破棄したという点まで及び藤本所長が、森下隼夫がバス労の幹部であることは知つていたことは認めるが、その余の事実は、知らない。

(4)は認める。

(5)は、藤本所長が、当日岡山市内にある津山旅館に石田を訪ねたこと及び山部・中原が当日休暇をとつたことは認めるが、その余は知らない。

(6)は争う。

(7)は認める。

(8)は知らない。

(9)は認める。

被告委員会の判断中角屋での会合について

(1)組合及び会社の各主張の要旨は、命令書記載のとおりである。

(2)の前文については、病気欠勤中の赤田が反組合的行動を続けていた事実はない。

<1>は争う。

会合場所である角屋は、会社従業員が日頃よく利用する程度の旅館であつて、本件会合についても、赤田等の参会者が旅館に会合を持つことを依頼した後、榊原課長に電話でその出席を求めたものであつて、榊原課長が同旅館を会合の場所として選んだものではない。

<2>については、参会者が、職制上榊原課長の所轄に属する運転手であることは認めるが、同人等が、当時反執行部派と目されていたわけではない。

<3>については、榊原課長が病気欠勤中の赤田が反組合的活動をしていることを知つていた事実はない。

<4>について、角屋の領収書が赤田宛となつていることは認めるが、この費用は、当然赤田等の支払うべきものであるから、宛名を赤田としただけであつて、何等の作為はない。

<5>について、榊原課長が、ストライキをすることを不可であると暗示したものではない。

<6>について、組合の度々のストライキに対する井原市その他関係地区住民の批判と、その結果生じた国鉄バス等の乗入申請等に関して、赤田等が、その詳細な経過を知るために、榊原課長に説明を求めたものであつて見れば、その会合の日時が次に予定されていたストの日時に接着していたとしても不思議ではなく、そのことが、直ちに、不当労働行為の意図と結びつくものではない。

<7>について、公益事業において、一日のストライキが如何に公共の利害に影響するものであるかを考慮すれば、会社が組合と一戦を交えるため自らストライキを求めることなどできるものではない。そのストライキの原因となつた年間臨給問題に関する組合の要求に対する会社の諾否は、専ら経理上の理由によるものである。

<8>について、多数の参会者のうち、小寺一人がスト破りを呼びかけている事実並びに同日の会合に出席していなかつた矢掛営業所においてスト当日二台のバスが動いた事実は、却つて、会合の席上ではスト破りについての話合がなされなかつたことを物語るものである。

<9>は認める。しかし、本件会合と組合分裂との間に何等の因果関係もない。

本項後文の判断は誤りである。なる程、榊原課長が、職責上組合問題に介入すべき立場にないことは当然であるけれども、だからと云つて、赤田等が本件のような会合を企画したことを注意し、阻止すべき義務はない。赤田等が本件会合を持つた目的は、前述のようにストライキに対する地区住民の批難ないし他社のバス乗入問題等について榊原課長の説明を聞くためであつたのであるから、榊原課長がこれに注意を与え、或いはこれを阻止することは、却つて、組合員の自由な活動に介入することになつて不当なものとなろう。

従つて、榊原課長の本件会合への出席が、ストライキ反対の組合員に物心両面での支援を与える形となり、ひいては組合分裂を促進する一因を醸成したものであつて、支配介入に該当するとする被告委員会の判断は、明らかに誤りである。

被告委員会の判断中藤本所長の言動について、

(1)組合及び会社の主張の要旨は命令書記載のとおりである。

(2)の前文について、藤本所長の矢掛転任は、他の営業所長の配転と関連した一連のものであつて、その配転について会社に特別の意図はなかつた。

<1>について、業務上の指示ないしは従業員の動向報告とは云つても、それは、二つの組合が併存し対立している中での職場秩序の問題に関連することであり、特に自動車の運行中の出来事等に関することであるから、最古参の運転手である森下にこれを依頼したとしても何等異とするに足りないものである。

<2>については、その指示・要請は、古参運転手の森下に対してしたものであり、バス労の幹部に対してしたものではない。

<3>は認める。

<4>は知らない。

<5>については、協議したという点を除いて認める。石田部長と会つたのは旅館の前で一〇分程挨拶程度の立話をしただけで協議をしたことはない。

<6>は否認する。藤本所長が森下に指示ないし依頼したものではない。

<7>は認める。バス労幹部が脱退届を書いたのは八月四日であるから、藤本所長がその翌日の八月五日に森下に会つて脱退届を書いて提出するように指示ないし依頼をしたものとすると、おかしな結果となる。この脱退届は、既に八月二日に作成されていたものであつて見ればなおさらである。

<8>は認める。但し、全般的にバス労加入者が多くなつたものであつて、矢掛営業所だけに限つた現象ではない。しかも脱退届の提出は、バス労において決定したものであつて、藤本所長の言動とは無関係である。

<9>は認める。但し、特段の意図があつた訳ではない。

<10>も認める。なる程組合からの要請によつてこの通達を出したけれども、その趣旨は、あくまで「組合の運営に支配介入の行為をしないよう留意せよ。」というものであつて、会社の真意に基くものである。

<11>は争う。藤本所長の証言が初審と再審とで大きく変つた事実はない。証拠物を示して尋問された結果、その記憶が喚起されて詳細な内容の証言となつたとしても、そのことの故に藤本所長の証言が信用できないとするのは当らない。

とすると、本項後文において、被告委員会が、「藤本所長は、営業所長たる職責を利用し、一方の組合幹部に働きかけ、結果的には他方の組合の切崩しともなるような指示ないし要請をしたもの」と認定したのは、事実を誤認し、ひいては、不当労働行為でないものを不当労働行為と判断した違法がある。

五、以上のように、被告委員会の発した本件命令は、事実を誤認し、法律上の判断を誤つた違法なものであることが明らかであり、その違法性は重大なものであるから、原告はその取消を求める。

被告の答弁

一、原告の請求原因第一項の事実は認める。

二、同第二項の事実も認める。

三、同第三項も認める。

四、同第四項中、被告委員会の命令に事実誤認ならびに法律上の判断を誤つた違法があるとの主張は争う。

なお、被告委員会の認定に反する原告の主張事実は、全部争う。

五、同第五項は争う。

証  拠<省略>

判  断

組合は、会社について不当労働行為に該当する行為があつたとして、地労委に対して救済申立をしたところ、地労委は、組合の申立は一部理由があるが、一部は理由がないものと認定して、別紙(一)のような初審命令を発したこと、この初審命令を不服として、組合及び会社の双方から被告委員会に対して再審査の申立をした結果、被告委員会は、組合の申立を一部理由があるとして容れた反面、会社側の申立を理由がないものと認定して棄却したものであり、その命令の主文ないし理由が、別紙(二)の命令書写記載のとおりであることは、当事者に争いがない。

そこで、被告委員会の事実認定並びに法律上の判断の当否について検討する。

(当事者)

会社は、肩書地に本社を置き、地方鉄道業・自動車運送業等を営んでおり、その従業員数は本件初審申立当時七三二名であつたこと、昭和三九年七月以前、会社内にはその従業員をもつて組織されている単一の労働組合である本件組合があつたが、同月一七日分裂してバス労が結成された結果、組合の組合員数は次第に減少を続け、地労委に対して救済申立をした昭和三九年八月八日当時六八一名を数えた組合員は、昭和四一年二月一〇日現在で約二八九名となるに至つたことは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第九〇・九一号証によれば、昭和四〇年一一月一八日当時、バス労の組合員数は、既に三七〇名前後に達していたことが認められる(この認定に反する証拠はない。)。

(昭和三九年春闘と他社の乗入問題)

組合は、昭和三九年二月一日、会社に対して金五、〇〇〇円の賃上げ等三項目の要求書を提出し、これについて団体交渉が続けられたが、会社側からも、鉄道合理化などを含む三項目の条件の提示があつたりして妥結に至らず、組合は、同年三月二七日に始発から六時までの時限ストを、同年五月二四日に二四時間ストを、同月二七・二八日の両日四八時間ストを実施したが、二八日のストは中途で中止された。この春闘は、同月二九日賃上げ額金二、九〇〇円で妥結したが、この賃上げ額は、私鉄総連傘下の組合平均よりは、四〇〇円程低いものであつた。

これより先、昭和三八年秋頃から、会社の独占路線である井原・玉島・寄島地区の住民が、陸運局や国鉄等に対して国鉄バスと両備バスの乗り入れ方を要望していたが、昭和三九年の春闘をきつかけにして、他社乗入れ要請の声がさらに強くなり、同年六月頃には、井原で同市議会が中心となつて、全市民を対象として、他社のバス乗入れを要請する署名を集める運動が行われるという状態となるに至つたことは、当事者間に争いがない。

(年間臨給闘争と角屋の会合)

組合は、春闘妥結の約一〇日後である昭和三九年六月八日、夏期手当及び越年手当の年間臨時給与として金一五万円を出すよう要求したところ、会社は、同月二七日前年実績プラス三九〇円の金八七、五〇〇円の第一次回答を行い、次いで、同月二八日に予定されている半日ストを回避するならば金八九、〇〇円を支給するとの第二次回答を行つた。組合は、二八日の半日ストを一応中止することにしたが、職場討議の後、あらたに同年七月五・六日の四八時間ストライキの実施を決定したことは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第四六・四七号証によれば、昭和三九年七月一日当時、組合の執行委員会においては、同月五・六日の四八時間のストライキが計画され、赤田喜一の属する笠岡の分会では、七月一日にその是否が職場討議にかけられており、赤田喜一はその職場討議に出て討論に加わつた後、後記の角屋の会合に出席したのであり、小寺成男の属する井原の分会では、未だ七月一日の段階では、同年五・六日のストライキが職場討議にかけられてはいなかつた。と認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

赤田喜一は、組合に所属する組合員で、以前バスの運転手・営業所の助役等を経て、当時は笠岡営業所に属するバスの運転手であつたが、昭和三九年二月頃、高血圧症であるという医師の診断によつて下車勤となり、その後下車勤務も禁止され、同年六月頃から病気欠勤を続けていたことは、当事者間に争いがない(弁論の全趣旨によれば、赤田喜一の病気欠勤の期間は、昭和三九年六月中旬頃から同年八月下旬頃までであると認められ、この点に関する乙第四四号証、第四六号証及び第九〇号証中の記載はあやふやで正確さを欠き、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。)。

成立に争いのない乙第四四号証及び第五四号証、前掲乙第四五号証及び第九〇号証によれば、病気欠勤中の赤田喜一は、昭和三九年六月中旬頃から、単車に乗つて各職場を廻つたり、会合を開いたりして、盛んに組合の執行部を批判する活動を行つていたので、組合は、赤田喜一の言動は、反組合的言動であるとして、その頃、会社の自動車課長榊原忠雄その他に対し、再三に亘つて、病気欠勤中の者がこのような活動を行うのは問題であり、会社において適切な処置をするよう抗議し(赤田喜一の言動に関して組合より榊原課長に抗議のあつたことは、当事者間に争いがない。)、さらに、団体交渉の席上でも同様の抗議を行つたが、会社としては別段の措置をとらなかつた。なお、赤田喜一は、バス労が結成された同年七月中旬以降も、相変らず夜間単車に乗つて、バス労のための組合活動を続けていた。と認められ、右認定に反する証人榊原忠雄の証言は信用できず、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。

榊原忠雄が課長をしている本社営業部自動車課は、一般乗合自動車の営業と運行を管理する重要な課で、観光係を除いて各自動車営業所をその所管下におき、所属の従業員数が社内で最も多いところであるが、昭和三九年七月一日、赤田喜一の提唱で、夜九時頃から約一時間、笠岡市内にある角屋旅館に、組合の執行委員である小寺成男(前掲乙第四七号証によれば、小寺成男は、井原営業所のバスの指導運転手兼運行管理者であると認められる。)、井原営業所所属のバス運転手で、組合の組合員である河合慎次・同岡田敏夫・同大山斉・同藤代新市・同福江時雄の外、赤田喜一及び榊原忠雄のバス運転関係の者八名が参集して、酒食を共にしながら、榊原忠雄から会社の経理内容及び井原・玉島・寄島地区への国鉄バスや両備バスの乗入れ問題の状況等について説明を受けたことは、当事者間に争いがない。

成立に争いのない乙第二三・二四号証、第二八号証、第三三号証、第八三号証、前掲乙第四六号証、第九〇号証、成立に争いのない乙第四二号証によつて原本の存在並びにその真正の成立の認められる乙第一八号証、後記信用できない部分を除く前掲乙第四四号証及び第四七号証の記載の各一部を総合すると、会社の鉄道・バスに依存している地区住民は、当時行事化して来た組合のストライキに困却して、国鉄・両備のバス乗入れを要請するようになり、組合の内部においても、執行部を批判する組合員の数が次第に勢を得て来ていた昭和三九年七月一日に右角屋での会合となつたものであり、この会合に参集した全員が執行部批判派であつたとは速断できないが、殆んど大多数の者は、組合の度々行うストライキに相当批判的な立場に立つていたものであつた。特に赤田喜一は、執行部批判の活動を公然と行つていたため、組合から会社に対して再三に亘つて抗議の申入があり、榊原忠雄としてはその抗議の相手となつたこともあり、小寺成男も組合の執行委員の中では、ストライキ反対の立場を相当早くから取つていたので、榊原忠雄は、当夜角屋に集まつた者達が、大部分執行部批判派の者達であることを知つていて、その会合に出席したのであつた。赤田喜一は、組合の職場討議に参加したため、後れて角屋の会合に出席したものであるが、その職場討議では、既に同月五・六日の四八時間ストライキの討議がなされて、大多数の者が賛成するに至つたものであり、角屋の会合においてもストライキの話が出ているのであるから、出席者全員、組合が同月五・六日にストライキを決行する予定であることを了知した上で話合を進めたものであつた。その席上、先ず榊原忠雄から会社の経理内容、国鉄の乗入れ問題等について説明があり、その後雑談の中で、組合の行き方についても批判が出ており、また、「ストの時、車を動かす方法はないか。」という声もあり、これに対して榊原課長は、「他社のバスを運行してもらうとか、運諭大臣に運送命令を出してもらうとかいう方法がないでもないが、事実上それは難しいことである」という趣旨の発言を行つている。又、小寺成男が、「ストの時車を動しても良いのではないか。」との発言をしたのに対して、河合慎次あたりが、「そういうことはできない。」と反対した一幕もあつた。榊原忠雄としては、その席上、「会社は非席に苦しい実情にあるから、それを理解して協力してほしい」と訴えはしたが、「ストライキをやつて貰つては困る。」という趣旨の発言は行つていない。そうして、榊原忠雄を除いた参会者達は、今後職場討議を通じてなるべくスト回避の方向に努力しようと話し合つて散会した。右の会合のあつた角屋は、笠岡市内では上流に属する旅館であり、会社の関係者が、忘年会、新年会、送別会等に時々利用することはあつたが、バスの運転手達が、平常私的に利用するということは殆んどなく、その会合の申込をした赤田喜一も、個人的には殆んどなじみのない旅館であつて、その会合が終つて皆が帰る際、その支払はなされなかつた。同月一二日前後頃、組合の副執行委員長である小寺勇が角屋旅館を訪れて、七月一日の会合の請求書を要求したところ、角屋旅館では「井笠榊原様」と宛名した計算書を発行した。その後同月一八日、榊原忠雄が角屋旅館に行き、七月一日の会合の代金七、八一〇円を支払い、その領収書は、赤田宛に作成させた。(その代金は、後日赤田喜一から、榊原忠雄に支払われたもようであるが、判然としない。)と認められ、右認定に反する証人榊原忠雄・大山斉の各証言、乙第四四号証及び第四七号証中の記載は信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。なお、被告委員会は、角屋旅館は榊原忠雄が指定したと認定しているけれども、そのように肯認し得るに足りる資料は存在しない。

角屋の会合より数日後である七月五・六日に四八時間ストライキが実施されたところ、五日の朝、ストライキに批判的であつた組合の執行委員山部昇の呼びかけで、矢掛営業所のバス運転手山田健次が、矢掛・井原間の、同じく森下隼夫が、美山・矢掛間のバスを運行した。また、組合の執行委員の妹尾寛行が笠岡営業所で、同じく小寺成男が井原営業所で、組合員であるバス運転手等に対してバスを運行するように呼びかけたが、いずれも運行はされなかつた。右の四八時間ストライキに関し、組合側の調停申請に基いて、地労委は、年間臨給金九六、〇〇〇円の調停案の提示を行つたが、会社側から拒否回答を受けたため、引き続いて職権斡旋を行い、金九三、〇〇〇円の斡旋案を示すに至つた。組合側はこの斡旋案を受諾したが、会社側が再三に亘つて回答を延期したため、会社の不誠意な態度を世論に訴えようと、同月一五日から七二時間ストライキを行うことを決定した。会社側は、右七二時間ストライキの直前になつて地労委の斡旋案を正式に拒否する回答をしたが、同月一五日正午頃、会社と組合間で団体交渉が持たれた結果、年間臨給九三、〇〇〇円、ただし、欠勤控除等から生じた原資の配分率は七〇パーセントとするということで妥結し、同日午後一時にストライキは中止された。そして、交渉妥結直後に、会社と組合間でトツプ交渉が持たれ、組合側から、「不当労働行為をしないように」という趣旨の通達を会社より職制あてに出すように強く要望されたため、会社は、同月二〇日付で、「労働組合法第七条に規定する趣旨について留意されたい」旨の各職制あての通達を発した。ことは当事者間に争いがない。

(バス労の結成)

従来から組合の行き方に対して批判的であつた一部組合員は赤田喜一を中心として新しい労働組合を結成する計画を立て、総同盟の援助のもとに、昭和三九年七月一七日午前零時から約二時間、岡山市内にある下電ホテルに会社の従業員六二名が参集してバス労の結成大会を開催し、その席上赤田喜一を執行委員長に、小寺成男を副委員長に、山部昇を書記長に、七月一日に角屋に集まつた藤代新市・岡田敏夫・福江時雄等を含めて一〇名を執行委員に選出し、その際、矢掛営業所の森下隼夫は、バス労の会計監査に選ばれた。右結成大会の数日後である同月二〇日過ぎ頃、バス労は、地労委に対して法人登記のための資格審査を申請し、地労委は、同年八月二〇日付でバス労が労働組合として適格であるとの証明書を出すに至つた。ことは、当事者間に争いがない。

(藤本哲治所長の言動)

会社は、昭和三九年七月三一日付で社内の人事異動を行い、福山の営業所長であつた藤本哲治を、矢掛営業所長兼矢掛駅長に任命した。当時矢掛営業所及び駅における従業員数は六七名であり、内バス関係者は五九名を数え、非組合員は所長一名だけであつた。ことは当事者間に争いがない。

成立に争いのない乙第三四号証及び第五四号証によれば、藤本哲治の矢掛転勤は、バス労強化のためのものであるとの噂が流れていたので、これを警戒した組合は、執行委員会でその対策等を検討した結果、藤本哲治が組合に対して攻撃的言動に及ぶかどうか、バス労を支援する虞はないかを監視する必要があるとして、そのためのオルグ派遣を決定し、同年八月一日から約一〇日間執行委員の佐伯博成等に無給休暇をとらせて矢掛に派遣し、常時藤本哲治の言動を監視していた。ことが認められ、右認定に反する証拠はない。

同年八月三日午前一一時頃、藤本哲治は、笠岡から矢掛までのバス乗務を終えて営業所の事務室に入つて来た森下隼夫を所長席に呼び、社用の便箋に「出来るだけ早い機会に、自動車だけでも一本にする必要がある。努力を願います。中心になつてくれ。」というものと、「従業員の動向を時々メモにでもして知らせて下さい。特に変つたこと等があつた場合、オルグがいても何もエンリヨは要らぬ。」というものの二枚のメモをし、それを森下隼夫に示しながら約二〇分間にわたつて話合を続け、話が終るとそのメモを屑かごの中に破棄した。ことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第三五号証、第三七号証及び第四三号証、前掲第三四号証によれば、右藤本哲治と森下隼夫の話合の状況を見ていた佐伯博成は、矢掛駅の駅手木山健に命じて屑かごを焼却場付近まで持ち出させ、メモの破片を拾い集めて宿直室に持ち帰り、同駅助役の渡辺喜夫と共に復元作業を行い、これを組合の小寺勇副委員長に手渡した。当時藤本哲治は、森下隼夫がバス労の幹部の一人である(森下がバス労の幹部であつたことは当事者間に争いがない。)ことを赤田喜一から聞いて承知していたものである。と認められ、右認定に反する証拠はない。

前記バス労の結成大会に際して出された「新組合結成趣意書」によれば、その最後の方に参考として「加入される方は別添加入申込書に記名捺印の上、仮事務所宛郵送して下さい。旧組合(井笠支部)は自動的に脱退出来ます。」と記載されていたことは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第三九号証、原本の存在と共にその成立に争いのない乙第七〇号証、前掲第九〇号証によれば、昭和三九年八月三日頃、矢掛営業所関係従業員六七名中バス労に加入していた組合員数は、十数名に過ぎず、森下隼夫を始めとして、バス労の組合員は、まだ誰一人として組合に対し脱退届を提出していなかつたと認められ、右認定に反する証拠はない。

ところが、藤本哲治は、同日(八月三日)中に赤田喜一からの連絡で、総同盟本部のオルグである石田某が岡山市に来ており、津山旅館に宿泊中であることを知つたことは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第四〇号証、第七三号証、第八〇・八一号証、第八四・八五号証、前掲乙第八七号証によつて真正の成立の認められる乙第六九号証、右乙第八四号証によつて原本の存在と共にその真正の成立の認められる乙第一九号証、後記信用できない部分を除く前掲乙第八七号証の一部に弁論の全趣旨を総合すると、藤本哲治は、赤田喜一から連絡を受けた次の日の八月四日、バス労の組合員でその執行委員に選任されている矢掛営業所所属の山部昇及び中原貢の両名が、同日開催される総同盟関係の会合に出席するからという理由で公休の請求をして来たので、これに許可を与え、同人等は、当日会社を休んでその会合に出席して右石田某とも面会している。そして又、藤本哲治は、右石田某から話を聞くという名目で、岡山市において第四回の営業所長連絡協議会(これは営業所長の懇親を兼ねた一種の私的な集まりである。)の開催を提唱し、八月四日の勤務時間終了後、藤本哲治を含めて六名の会社の各営業所長が、笠岡発一八時三〇分の列車に乗つて岡山市に赴き、津山旅館に宿泊中の石田某を訪ねた。途中藤本哲治は、たまたま知人に会つたため、他の所長達よりも一足後れて津山旅館に着いたが、その時は、他の所長等は既に右石田某に会つて面談した後であり、石田某は外出しようとして玄関に出て来たところであつた。藤本哲治は、津山旅館の玄関附近で石田某をつかまえて約一〇分前後話合をして別れた後、他の所長等と共に食事を共にしながら、約一時間半ぐらいに亘つて種々協議をした。そして、その翌日頃、藤本哲治は、矢掛営業所の所長日誌の八月四日欄に、「総同盟の件、山部・中原出席、V. okayama. H. tuyama. 石田氏に各所長面接し協議」と記載した。このVは意味不明であるが、Hはホテルの意味を表わすものであつた。同月七日の午後七時三〇分頃から同九時三〇分頃までの間、組合は、矢掛で、書記長三村明・青年婦人対策部長弓立光善等が出席して青年婦人部の会合を持つたが、その会の終了時、矢掛の従業員で、組合の組合員の一人が、勝手に前記営業所長日誌を持ち出して来て、三村明等幹部に提供した。同人等は、藤本哲治の記載した八月四日に関する事項が、同人の不当労働行為を示すものであると判断し、後日の証拠とするため弓立光善がその写真撮影をした。ところが、藤本哲治は、その後所長日誌の中の八月四日欄を破り捨てて新たに書き替え作成した。藤本哲治は、岡山で前記石田某と会つた翌日の八月五日午前一一時四〇分頃、矢掛営業所事務室内の所長席で、森下隼夫と会つて筆談をしたが、筆談のメモを見た森下隼夫がうなずいたので、藤本哲治はにつこりして筆談に使つたメモ用紙を破つて屑かごに捨てた。これを目撃していた組合の鉄道分会の分会長をしていた矢掛駅助役の渡辺喜夫は、同駅々手の江木貢に所長用の屑かごを持参するよう指示した。江木貢は、その指示に従つて所長用の屑かごを焼却場附近に持ち出し、渡辺喜夫・木山健等と共に右のメモの破片を拾い集め、渡辺喜夫が宿直室でその復元を図つた。その完全復元は出来なかつたが、そのメモには、藤本哲治の筆跡で「総同盟闘争部長石田氏、脱退届、名簿提出、色分ケ」と判読できる記載があり、「色分ケ」の頭には二重丸が付されてあつた。右の藤本哲治と森下隼夫の筆談の状況は、私鉄総連から組合のために派遣されたオルグであつた真野吉郎も、駅のプラツトホームから見守つていた。と認められ、右認定に反する乙第三七号証、第三九号証、第八七号証の各記載部分、証人山部昇の証言は、たやすく信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

八月七日(これは、前記認定の藤本哲治と森下隼夫の筆談後僅か二日後である。)、バス労の幹部は、組合に対し、矢掛営業所を中心とした組合員の同月四日付の脱退届を提出したが、その中には勿論森下隼夫も入つており、その後同月中旬頃からバス労加入者が急速に増加し初めた。昭和三九年八月分の組合費については、バス労に加入したものもチエツク・オフされて組合に渡されていたが、同年九月一六日付でバス労組合員二五名が、会社にチエツク・オフの拒否を申し入れ、その後順次拒否申入者が増加して行つた。なお、バス労は、昭和三九年中は組合費の徴収をしなかつた。ことは、当事者間に争いがない。

(不当労働行為の成否)

先ず、昭和三九年七月一日の榊原忠雄の言動について判断する。

もとより、会社にも言論表現の自由があり、労使の関係が極めて尖鋭化している時点でも、会社の事務室内等において、自らの意思によつて集つた労働組合の組合員に対し、使用者ないしその管理の職責を有する者が、会社の苦境その他を説明し、ストライキになつた場合には会社倒産に陥る可能性のあること等会社の本当の実情を訴えて、協力を要請すること自体は、法律上当然に許された範囲に属するものといわなければならないが、本件における前記認定判示の事実関係からすれば、自動車課長として会社の監督的地位ないしは使用者の利益を代表している榊原忠雄は、ストライキが数日後に予定されている時機に参集者達があまりなじみを持たない相当上流の旅館において、反執行部派と目される組合員が集つた中で、酒食を共にしながら会社の実情等を訴えて協力を要請したものであつて見れば、同人の意図の如何にかかわらず、その言動は洵に軽率であつたとのそしりを免れず、外面的には、組合内部における分派活動を支援する形になつたものであるといわざるを得ない。しかして、労働組合法第七条第三号にいわゆる支配介入として不当労働行為を構成する行為は、必ずしも具体的に労働組合の団結権その他の権利を侵害する結果の発生したことを必要とするものではなく、苟しくも外形上労働組合の結成・運営等を支配し又はこれに介入するものであつて、抽象的にその団結権その他の権利を侵害する危険性を帯有している使用者側の行為であれば十分であり、もとより使用者に不当労働行為意思の存在することも必要としないものであると解するのを相当とするから、本件における榊原忠雄の言動の不当性がそれ程大きなものであつたとは言えないにしても、右のように外面的には組合内部の分派活動を支援する形を構成したものである以上、それは結局は組合運営に干渉するものであつて、組合の団結権その他の権利を侵害する方向に向つた支配介入行為に該当すると見るのが相当である。この点使用者側の言論の自由といえども、そのなされた時期・場所・目的・方法態様ないし対象者等の如何によつては、或る程度の制約を受けるのが当然のことであり、本件におけるこれらの事情を総合的に考察した場合、榊原忠雄の言動は、やはりその制約の範囲を超えたものであつて、組合に対する支配介入となることについては変りがないものといわなければならない。

なお、被告委員会は、右の会合に角屋を指定したのは榊原忠雄であり、その角屋の会合への出席によつて組合分裂を促進する一因を醸成したと認定判断をしているところ、榊原忠雄が会合場所として角屋を選定したとまで認定できないのは前判示のとおりであり、又、本件全証拠によつても、七月一日当時既に組合分裂の動きがはつきりと出ていたとは首肯できないと同時に、榊原忠雄が組合分裂を希求して角屋の会合に出席したものであるとも肯認することができないけれども、被告委員会の事実認定並びに法律判断は、その大筋において正当であり、榊原忠雄の言動が組合に対する支配介入として不当労働行為に該当するとした判断は、前判示のとおり当裁判所もこれを是認することができるから、被告委員会の命令には事実誤認・法律判断の誤りがあるとの本件原告の主張は採用することができない。

次に、昭和三九年八月三日ないし五日の藤本哲治の言動について判断する。

前記認定判示の事実関係の下においては、組合の活動の中にも相当非難さるべき点がなかつたと言うことはできないにしても、それにもまして、藤本哲治の言動は、正に組合に対する支配介入として不当労働行為を構成すると解すべきことは多言を要しないところであり、この点に関する被告委員会の事実認定並びに法律判断には、殆んど誤りはないものというべきであるから、被告委員会の命令に重大な事実誤認・法律判断の誤りがあるとする原告の主張も又採用の限りではない。

とすると、原告の本件請求は理由がないから、これを失当として棄却すべきである。

よつて、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第七条民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 西山要 吉永順作 瀬戸正義)

別紙(一)

主文

一、被申立人井笠鉄道株式会社は、申立人私鉄中国地方労働組合井笠鉄道支部に対し、下記事項を記載した文書を、本命令書が交付された日から一週間以内に手交しなければならない。

昭和  年  月  日

私鉄中国地方労働組合井笠鉄道支部

支部執行委員長 時松明殿

井笠鉄道株式会社

代表者代表取締役 関藤友八

昭和三九年八月三日井笠鉄道株式会社矢掛営業所において、矢掛営業所長兼矢掛駅長藤本哲治が、森下隼夫に対し行いました行為は、労働組合法第七条第三号に違反する不当労働行為でありましたので、深く陳謝の意を表し、今後このような行為を再び繰返さないことを誓約いたします。

二、申立人の損失補償請求の申立は却下する。

三、申立人のその余の申立を棄却する。

別紙(二)

命令書

(中労委昭和四〇年(不再)第一五号・昭和四〇年(不再)第一六号 昭和四一年七月二〇日 命令)

一五号事件申立人 一六号事件被申立人 私鉄中国地方労働組合井笠鉄道支部

一五号事件被申立人 一六号事件申立人 井笠鉄道株式会社

主文

初審命令主文を取り消し、次のとおり変更する。

一 井笠鉄道株式会社は、本命令交付の日から七日以内に、縦一メートル、横一、五メートルの板面に、墨書をもつて、下記のとおり明記し、会社本社および矢掛営業所の従業員の見やすい場所に七日間掲示し、その履行状況を当委員会に報告しなければならない。

昭和三九年七月一日の角屋旅館における会社自動車課長榊原忠雄の言動ならびに同年八月三日および五日の矢掛営業所長兼矢掛駅長藤本哲治の言動は、労働組合法第七条第三号に該当する不当労働行為でありましたので、今後このような行為を再び繰り返さないことを誓約いたします。

昭和  年  月  日

井笠鉄道株式会社

代表取締役 関藤友八

私鉄中国地方労働組合井笠鉄道支部

支部執行委員長 時松明殿

二 再審査申立人私鉄中国地方労働組合井笠鉄道支部のその余の申立てを棄却する。

三 再審査申立人井笠鉄道株式会社の申立てを棄却する。

理由

第一当委員会の認定した事実

1 当事者等

(1) 第一五号事件再審査申立人・第一六号事件再審査被申立人私鉄中国地方労働組合井笠鉄道支部(以下「組合」という。)は、井笠鉄道株式会社の従業員をもつて組織された労働組合で、本件初審申立て当時(昭和三九年八月八日)組合員数六八一名であつたが、昭和四一年二月一〇日においては二八九名である。

(2) 第一五号事件再審査被申立人・第一六号事件再審査申立人井笠鉄道株式会社(以下「会社」という。)は、肩書地に本社をおき、地方鉄道業、自動車運送業等を営み、その従業員数は本件初審申立時七三二名である。

(3) なお、会社には、後記の経過により、組合から分裂して結成された井笠バス労働組合がある。

2 昭和三九年春闘と井原地区等への国鉄バスおよび両備バスの乗入れ問題について、

(1) 昭和三九年二月一日、組合は会社に対し五、〇〇〇円の賃上げ等三項目の要求書を提出し、以後団体交渉が続けられたが、会社が鉄道合理化など三項目の条件を主張するなど強い態度を示したため、組合は、同年三月二七日に始発から六時までの時限スト、同年五月二四日には二四時間スト、同月二七日、二八日に四八時間スト(二八日は途中で中止された。)を実施した。

(2) 上記闘争は、同月二九日に賃上げ額二、九〇〇円で妥結したが、この金額は、私鉄総連傘下の組合の平均より四〇〇円ほど低いものであつた。

(3) 昭和三八年秋頃から、会社の独占路線である井原、玉島、寄島地区住民が、国鉄バスと両備バスの乗入れを、国鉄や陸運局に要望していたが、上記闘争をきつかけにして、乗入れ要請の声が強くなり、昭和三九年六月頃には、井原で同市議会が中心となつて、全市民の署名を集める運動が行なわれる状態であつた。

3 年間臨給闘争の経過および角屋の会合について

(1) 昭和三九年六月八日、組合は、年間臨給(夏期手当プラス越年手当)一五万円を会社に要求した。

これに対し、会社は、同月二七日、八七、五〇〇円(前年実績プラス三九〇円)の第一次回答を行ない、ついで、同月二八日に予定されていた半日ストを回避するならば八九、〇〇〇円を支給するとの第二次回答を行なつた。

(2) 組合は、上記半日ストを一応中止するとともに、職場討議の後、あらたに同年七月五日、六日の四八時間ストの実施を決定した。

(3) 組合員赤田喜一は、バス運転手、営業所助役を経て、当時は笠岡営業所所属のバス運転手であつたが、昭和三九年二月頃、高血圧症状との医師の診断により下車勤務となり、その後、下車勤務も禁止され、同年六月以降同年九月まで病気欠勤を続けていた。

(4) 組合は、同年六月中旬頃、赤田が病気欠勤中にもかかわらず、バイクに乗つて各職場をまわり、反組合的な行動をしていたとして自動車課長榊原忠雄(以下「榊原課長」という。)に抗議し、また、団体交渉の席上会社側にも抗議したが、会社は別段の措置をとつていない。

後記、新組合結成後も、赤田は、夜間、バイクで同組合のために組合活動を続けていた。

(5) 同年七月一日、赤田の提唱で、夜九時頃から一時間ほど榊原課長の指定した笠岡市内の角屋旅館に、榊原課長、組合執行委員の小寺成男、井原営業所所属の組合員(バス運転手)河合慎次、同岡田敏夫、同大山斉、同藤代新市、同福江時男が集まつた。そして、酒食を共にしながら、榊原課長から会社の経理の状況および井原、玉島、寄島地区への国鉄バス、両備バスの乗入れ問題の現状について説明を受けた。

その後雑談の中で、組合の行き方についての批判もでており、また、「ストの時、車を動かす方法はないか」などの声もあつたが、榊原課長は、「他社に運行してもらうとか、運輸大臣に運送命令を出してもらうとかいろいろあるが、事実上難かしい」という趣旨の発言をしている。

なお、赤田は、遅れてこの会合に加わつている。

(6) 上記会合のあつた角屋は、笠岡市内では高級な旅館であり、会社が時々利用することはあつたが、バス運転手等が利用することはほとんどなかつたものである。

(7) 会合が終つて皆が帰る際、角屋は、当日の費用の支払いなどについて赤田らに何の話もしていない。

なお、この会合の経費は、同月一八日夕方、榊原課長が支払い、領収書を赤田あてとさせている。

(8) 上記榊原忠雄が課長をしている本社営業部自動車課は、一般乗合自動車の営業と運行を管理する重要な課で、自動車の各営業所は、観光係を除いてその所管であり、所属の従業員数が社内で最も多いところである。

(9) 同月五日、六日と四八時間ストが実施されたが、五日朝、ストに批判的であつた執行委員山部昇の呼びかけで、矢掛営業所バス運転手山田健次が矢掛~井原間の、同森下隼夫が美山~矢掛間のバスを運行した。また、執行委員の妹尾寛行と小寺成男はそれぞれ笠岡と井原の営業所で、組合員である運転手らにバスを運行するよう呼びかけたが、運行はされなかつた。

(10) 上記四八時間ストに際し、岡山県地方労働委員会(以下「地労委」という。)は、九六、〇〇〇円の調停案(組合側調停申請)を提示したが、会社はこれを拒否し、地労委は、引きつづき職権あつせんを行ない、九三、〇〇〇円のあつせん案を示した。

これに対し、会社は回答を再三延期したので、あつせん案を受諾した組合は、会社の不誠意な態度を世論に訴え、同月一五日から七二時間ストを行なうことを決定した。

(11) 同月一五日、上記七二時間スト直前に至り、会社は、地労委のあつせん案を正式に拒否したが、同日正午頃、会社と組合の間の団体交渉が行なわれ、組合側の譲歩により年間臨給九三、〇〇〇円(ただし、欠勤控除等から生じた原資の再配分率は七〇%とする。)ということで妥結し、同日午後一時ストは中止された。

(12) 上記交渉妥結直後、会社と組合とのトツプ交渉において、組合から「不当労働行為をしないように」との趣旨のものを会社から会社職制に出すよう強く要望され、その結果同月二〇日付けで、「労働組合法第七条に規定する趣旨について留意されたい」旨各職制あての通達が出された。

4 井笠バス労働組合の結成について

(1) 従来から組合の行き方に対して批判的であつた一部組合員は、赤田を中心として新らしい労働組合を結成する計画を立て、総同盟の援助のもとに、昭和三九年七月一七日午前零時から約二時間、下電ホテルにおいて、六二名が参加して井笠バス労働組合(以下「バス労」という。)の結成大会を開いた。

(2) この大会で、赤田は執行委員長に、小寺成男は副委員長に、山部は書記長に、藤代、岡田、福江ら一〇名は執行委員に選ばれた。なお、森下は会計監査に選ばれている。

バス労は、結成のあいさつをかねて、役員名簿を会社に提出している。

(3) 結成大会に際して出された「新組合結成趣意書」の最後に「参考」として、バス労に加入すれば組合からは自動的に脱退できる旨記載されている。

(4) バス労は同月二〇日すぎ、地労委に法人登記のための資格審査を申請、同地労委は、昭和三九年八月二〇日付で適格との証明書を出している。

5 藤本営業所長の言動等

(1) 昭和三九年七月三一日付で、会社は人事異動を行ない、福山営業所長藤本哲治(以下「藤本所長」という。)が矢掛営業所長兼矢掛駅長に転任した。

当時、矢掛営業所の従業員は六七名で、うち、バス関係は五九名であり、非組合員は所長だけであつた。

(2) この人事異動について、藤本所長の矢掛転任は、バス労強化のためであるとのうわさが流れた。組合は、この人事を執行委員会で検討した結果、藤本所長が<1>組合に対し攻撃的言動をするか否か、<2>バス労を支援することがあるか否か、監視の必要があるとして、そのためのオルグ派遣を決定、同年八月一日から一〇日間、執行委員佐伯博成らに無給休暇をとらせ、矢掛に派遣した。

(3) 同年八月三日午前一一時頃、藤本所長は、笠岡から矢掛までの乗務を終え、営業所事務室に入室してきた森下を所長席に呼び、社用の便箋に「出来るだけ早い機会に自動車だけでも一本にする必要がある。努力を願います。中心になつてくれ。」「従業員の動向を時々メモにでもして知らせて下さい、特に変つたこと等があつた場合、オルグがいても何もエンリヨは要らぬ。」とメモし、それを森下に示しながら約二〇分小声で話し、話が終るとそのメモを屑かごに破棄した。

この状況を目撃していた佐伯は、同所駅手木山健に命じ、屑かごを焼却場付近まで持参させ、メモの破片を拾い出し、宿直室に持ちかえり、同所助役渡辺喜夫とともに、復元作業を行ない、これを小寺勇副委員長にわたした。

なお、藤本所長は、森下が組合に脱退届を出していないが、事実上バス労の幹部であることを赤田から聞き承知していた。

また、当時矢掛営業所所属の従業員でバス労に加入していると目されていたものは約一五、六人であつた。

(4) 同日、藤本所長は、赤田から、総同盟のオルグ石田某が、岡山市に来訪、津山旅館に宿泊中である、との連絡を受けた。

(5) 同月四日、藤本所長は、石田から話を聞く名目で、第四回営業所長連絡協議会を招集し、同人を含め六名で、笠岡発一八時三〇分の列車で岡山に赴き、津山旅館宿泊中の石田を訪ねた。

また同日、藤本は、山部、中原某に公休を与え、両人は石田に会つている。

なお、藤本は、営業所長日誌の同日欄に「総同盟の件、山部、中原、出席、V. okayama, H. tuyama石田氏へ各所長面接し協議」と記載している。

(6) 同月五日、午前一一時四〇分頃、営業所事務室所長席で、藤本所長と森下が会い筆談した。森下がうなづき、藤本所長が笑顔で筆談のメモを破り屑かごに入れるのを目撃した渡辺は、同所駅手江木貢に所長用の屑かごを持参するよう指示し、江木、木山、渡辺で前記メモの破片を拾い出し、渡辺が、宿直室で復元した。

このメモには、藤本所長の筆跡で「総同盟石田闘争部長と会つた。脱退届、色分ケ」と判読できる記載があり、「色分ケ」の頭には二重丸が付せられていた。

この藤本、森下の筆談は、私鉄総連オルグ真野吉郎も、プラツトホームから目撃している。

(7) 同月七日、矢掛を中心にしたバス労幹部らは、組合に同月四日付脱退届を提出した。その中に森下も入つていた。

(8) 同日、午後七時三〇分頃から九時三〇分頃まで、組合は矢掛で青年婦人部の会合を開いた。それには、組合書記長三村明および青年婦人対策部長弓立光善が出席していたが、会合の終了時、組合員某が前記(5)認定の営業所長日誌を持参し、弓立が、前記八月四日の欄を撮影した。

一方、藤本所長は、その後上記日誌の八月四日の欄を破棄し、書き換えている。

(9) 同年八月中旬からバス労加入者が急速に増加したが、同年八月分の組合費については、バス労に加入したものも、チエツク・オフされて組合に渡された。

しかし、同年九月一六日付で、二五名のものが、会社にチエツク・オフの拒否を申し入れ、順次拒否者が増加した。

なお、バス労は、昭和三九年中は組合費を徴収していない。

以上の事実が認められる。

第二当委員会の判断

1 七月一日の角屋の会合について

(1) いわゆる角屋の会合について、組合は、

<1> 本件角屋での会合が行なわれた七月一日は、臨給闘争の最中であり、七月五日、六日のストを職場討議中であつた。

<2> 会合を企画した赤田と榊原課長は、同窓生で、赤田は組合分裂の首謀者である。

<3> 榊原課長が会合の目的も知らず、電話で呼び出されるのは不自然である。

<4> この会合で、榊原課長は会社の事情を説明し、スト対策に言及している。

<5> 赤田が、企画したとしても、企業危機―赤字―ストの罪悪視―ストの方針変更という心理的効果を狙つた内容が問題である。

<6> 七月五日に小寺成男がスト破りを呼びかけている。

<7> 角屋は笠岡での高級旅館であり、赤田が支払いをしたとは考えられず、榊原課長が支払つたものである。

以上の点よりみて、角屋の会合は会社の組合に対する支配介入行為であると主張し、

他方、会社は、

<1> 会合は、榊原課長が企画したものではなく、赤田が企画したものである。

<2> 榊原課長は、当日夕方、小寺成男から電話で出席依頼を受け、初めて会合を知つたのである。

<3> 出席したのは、ストに対する地元の批判、他社のバス乗入れ等を懸念した赤田らに実情を説明してほしいと頼まれたためである。

<4> 会合でスト破りの話は出ず、協力を求められたこともない。

<5> 七月五日のスト破りは矢掛で行なわれたものであり、会合には矢掛のものは出席していない。

<6> 出席者には、榊原課長のほか顔がきく者がいなかつたため、角屋が同人の名で計算したにすぎず、費用は赤田が支払つたものである。

従つて、本件会合について会社は何ら関知せず、責任はないと主張する。

(2) 昭和三九年七月一日夜、榊原課長や赤田らが集まつたいわゆる角屋の会合については、前記第一の2の(3)認定のとおり、会社の独占路線に他社バスの乗入れ問題が発生していた一方、前記第一の3の(1)(2)(3)(4)認定のとおり、年間臨給問題について労使間の交渉が行きづまり、七月五、六日の両日四八時間ストが予定されており、また組合の内部事情としては、長期病気欠勤中の赤田が、反組合的行動を続け、これについて組合が、榊原課長および会社に抗議したが、会社が別段の措置もとらなかつたという諸事情を背景として行なわれているのであるが、

<1> 角屋は、笠岡での高級旅館で、会合の提唱者である赤田自身なじみがなく、同旅館を赤田らとの組合問題についての会合場所として選んだのは榊原課長であること。

<2> 参集者はすべて榊原課長の管轄下の運転手であり、組合員としては反執行部派と目される者であつたこと。

<3> 榊原課長は、赤田が病気欠勤中にもかかわらず反組合的活動を続けていることを、組合からの抗議で承知しながら、赤田の提唱する会合に夜間出席していること。

<4> 角屋の費用は、榊原課長が支払いながら、領収書は赤田あてとしており、作為的であること。

<5> 春季闘争における組合のストライキ実施を契機としてつよまつた他社のバス乗入れ問題について、その実情を説明し、ストライキの不可を暗示していること。

<6> 会合は、組合の四八時間ストライキを目前にした時期に行なわれていること。

<7> 年間臨給問題についての会社の態度は、極めて強硬で、ストライキを回避するというよりは、組合と一戦交える構えがあつたこと。

<8> 参集者の一人である小寺成男が、七月五日スト破りを呼びかけていること。

<9> 角屋の会合から約半月後、組合は分裂してバス労が結成されており、赤田はその執行委員長に、その他角屋の会合に出席した組合員六人のうち、四人がバス労幹部に選任されていること。

等の諸事情からみて、角屋の会合についての会社の主張には納得し難い点が多く、結局榊原課長は、その職責上組合問題については介入すべき立場にないことを忘れ、病気欠勤中の赤田が夜間このような会合を企画したことを注意、阻止すべきであつたにもかかわらず、これを怠り、すすんで、会合場所として高級旅館を選定したばかりか、会合に出席し、費用まで支払うなどむしろ積極的な態度を示していることは、赤田の行動を支持し、ストライキ反対の組合員に物心両面の支援を与えた形となり、赤田らに自信を与えて結束させ、組合分裂を促進する一因を醸成したものと認めざるをえない。

従つて、榊原課長の職責からみて、同人の角屋会合への出席は、組合内部の分派活動を支援し、組合の弱体化を助長せしめた支配介入行為と認めざるをえない。

2 藤本所長の言動について

(1) 組合は、八月三日および五日の藤本所長の言動について、

<1> 藤本所長の矢掛転任は、会社の組合分裂支配体制確立のためである。

<2> 八月三日の森下との話の内容は、所長の書いたメモに照らしてみても、バス労の組織拡大状況を知ろうとして森下に要請するとともに、バス関係だけでもバス労一本にするよう指示、激励したものであることは明らかである。

<3> 五日の話およびメモは、三日のものと密接な関連をもつており、藤本所長が引き続き組合に支配介入行為をし、分裂について指示したことを如実に示したものであり、八月七日の脱退届の提出は、メモが具体化されたものである。

<4> メモは、藤本所長が八月四日に総同盟石田闘争部長から指示をうけたものを森下に指示したものであり、八月四日の所長日誌の内容と一致している。

<5> 八月四日の所長日誌はその後差しかえられており、藤本所長の説明には作為の跡が認められる。

従つて、藤本所長が、八月三日と五日に森下に対し、指示、要請したことは、会社がバス労を育成し、組合を弱めようとする意思の現れであり、明らかに組合に対する支配介入行為であると主張する。

他方、会社は、八月三日および五日の藤本所長の言動について

<1> 森下が、偶々事務室に入つた際、かねてから昵懇の藤本所長と話をしたもので他意はなく、所長の前に組合員がおり、また、組合のオルグに監視されていた状況の中でバス労育成等の指示が与えられるとは、常識上想像できない。

<2> メモの内容は乗務上のことについて依頼したもので、当時の情勢からみて納得できる。

<3> 仮りに話が組合活動に関するものであつても、バス労の役員たる森下を激励したことは、組合に対する支配介入とはなりえない。

<4> 情報の収集、組合監視の依頼であつてもそれだけでは介入行為ではない。

<5> 会社は、不当労働行為をしないように通達しており、藤本所長の行為は会社の意を体したものではない。

さらに細部についてみると、

<6> 五日のメモは、藤本所長が森下に話しながら書いたものであるとは断定できない。

<7> メモは統一的内容をもつたものでなく、組合の主張は単なる推測にすぎない。

<8> 組合は、八月四日藤本所長が、総同盟石田闘争部長から組合対策の指導を受け、五日に森下に指示をしたというが、藤本、石田の話は一〇分位で組合の問題ではなく、組合の主張は根拠がない。

<9> 組合は所長日誌を勝手に持ち出し写真をとり、その記載内容から推測したことを主張するが根拠はない。

<10> 脱退届の提出は、バス労において、八月二日に石田氏と協議のうえ決定したものであり、藤本所長が八月五日に指示したとの組合の主張は根拠がない。

以上いずれの点からしても藤本所長の言動は、組合に対する支配介入行為ではないと主張する。

(2) 藤本所長の矢掛転任は、組合が分裂し、バス労が結成されてから約二週間後の時期に行なわれ、同人の八月三日からの一連の行動は、前記第一の4の(3)および第一の5の(1)(2)に認定のとおり、組合とバス労との間で、組織争いがようやく表面化した時期に行なわれているのであるが、

<1> 矢掛営業所には、所長を補佐する助役等がおり、業務上の指示、従業員の動向報告等は、当然かかる職制を通じてなすべきものと考えられること。

<2> 八月三日の時点で藤本所長は、森下がバス労幹部であることを承知しており、メモは明らかにバス労幹部に対する指示、要請を内容としたものであること。

<3> 当時、矢掛営業所の自動車(バス)部門においては、組合員のほうが多く、バス労に加入していると目されるものは一五、六人に過ぎなかつたこと。

<4> 当初バス労は、組合に脱退届を出さず、隠密裡に組織を拡大しようとしていたこと。

<5> 藤本所長は、赤田から総同盟石田闘争部長のことをきき、各営業所長と同道石田闘争部長を訪ね協議していること。

<6> 藤本所長の八月五日のメモは、その断片的記載事項からみて、石田闘争部長と会つたことを森下に伝え、脱退届提出と、管下営業所における組合員とバス労組合員との色分けについて指示ないし依頼したものであるとする組合の主張は肯けること。

<7> 八月七日に、矢掛を中心としたバス労幹部が、同月四日付脱退届を提出していること。

<8> 八月中旬から、バス労加入者が急増していること。

<9> 藤本所長は、八月四日の行動等を記載した所長日誌をその後書き換えていること。

<10> 不当労働行為に関する会社通達は、会社が自発的に出したものではないこと。

<11> 藤本所長が、同人の八月三日、四日、五日の言動について、初審における説明を変更せざるをえなかつたのは、前記第一の5の(8)に記載する営業所長日誌の写真が当審において証拠として提出されたことに基づくものであつて、かような組合側の証拠の収集方法は、必ずしも適当なものでないとしても、藤本所長の説明は、結局、本件初審と再審で著しく矛盾し、その証言は信用し難いものと認めざるを得ないこと。

等の諸事情からみて、

昭和三九年八月三日、五日における藤本所長の森下に対する一連の言動は、藤本所長が、昵懇の間柄である森下に対し、乗務上のことについて依頼したもので他意はないとする会社の主張には無理があり、藤本所長は、その職責上組合間の問題については介入すべき立場にないにもかかわらず、会社内に二組合が併存し、組織争いを続けていることを承知のうえ、営業所長たる職責を利用し、一方の組合の幹部に働きかけ、結果的には他方の組合の切崩しともなるような指示ないし要請をしているのであつて、事実その後組合を脱退し、バス労に加入する者が相次いでいることが認められるのである。

従つて、上記の如き藤本所長の言動は組合の弱体化を意図した支配介入行為と認めざるをえない。

3 本件不当労働行為の成否およびその救済について

前記第二の1および2に判断のとおり、昭和三九年八月三日の藤本所長の行為については初審判断のとおりであるが、同年七月一日の榊原課長の行為および同年八月五日の藤本所長の行為については、初審判断は修正を免れず、上記行為はいずれも労働組合法第七条第三号に該当する行為と認めざるをえない。

しかして、その救済として、初審命令では陳謝文の手交を命じているのであるが、事案の内容その他、審査の全過程からみて、主文のとおり変更することを相当と認めざるをえない。

なお、組合は、請求する救済内容として、別に陳謝文の新聞広告、物心両面の損失に対する補填をあげているのであるが、本件については、主文以上の救済を与える必要はないものと判断する。

以上のとおり、組合の本件再審査申立てのうち、角屋における会合および八月五日の藤本所長の言動の問題については理由があり、その余の申立てには理由がない。

また、会社の本件再審査申立てには理由がない。

よつて、労働組合法第二五条、同第二七条および労働委員会規則第五五条を適用して、主文のとおり命令する。

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